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勉強は『幸せ』をつくること

更新日:2020年8月8日

「なぜ勉強をしなければならないの?」

この質問にあなたはどのように答えますか?


勉強は自分のためにするものではない


子供に「なぜ勉強しなければならないの?」と質問されて、あたなはどのように答えるでしょうか。

「良い成績でいれば良い学校に入れて望む職業につける。そのために勉強が必要だ」

「生きていくにはある程度のお金が必要で、そのために勉強が必要だ」 などでしょうか。

「勉強は本人のため」と思っている人が大多数だと思います。

それは大きな間違いです。

勉強は本人のためにするものではありません。

勉強は自分以外の人の「幸せ」のためにするものです。



勉強は自分以外の人の「幸せ」のために行う


人間は自分以外の人を「幸せ」にすることで「幸せ」を感じる生きものです

たとえば、電車で席を譲る。つまずいている子供を助ける。道に迷っているおばあちゃんに道案内をする。など。

あなたは当たり前のように人を助けることでしょう。

そのときのあなたの感じた体感、人に役に立ったという実感。これが「幸せ」そのものです。

誰にでもある経験ですね。そこに見返りを期待する人はいないでしょう。

「誰かの役に立つために」「何かに貢献するために」というものに「幸せ」を感じ生きる意味を見つけたりします。

より多くの人の役に立つことができれば、多くの「幸せ」を感じることができるでしょう。

でも、その行為が間違いだったり、的外れだったらどうでしょう。

おばあちゃんに間違った道を教えてしまったら・・・。

だから知識が必要なのです。つまり勉強ですね。

勉強が十分でないと貢献が的外れになったり、間違った解釈や偏見を生みます。偏見は差別と戦争を生みます。



多くの視点が必要


学校では、数学、国語、英語、社会、理科というように多くの教科を学びますが、これはこの世の中のことを各々の視点で理解しようとするものです。

別々の科目ではありません。

「学校で習った勉強は社会に出て役に立たない」と言う人は、知識を表面的にしか理解していなかったからです。

知識を一対一のように思っているかもしれません。

世の中の役に立つためには表面的な知識だけでは不十分です。

その裏側にある仕組みやカラクリまで理解する必要があります。

そのために数学の視点、国語の視点、英語の視点、社会の視点、理科の視点などなど、とてつもなく多くの視点が必要となります。

たとえば「自動車」だと。

メーカーのこと、色のこと、エアコンのこと、ガラスのこと、タイヤのこと、、シートのこと、オイルのこと、エンジンのこと、ステアリングのこと、自動車の歴史のことなど。少なくとも10くらいを上げ、各々また10くらいの視点を持つことが最低必要でしょう。

そして、その派生した視点をつなげたり再統合したりするような知識が必要です。


このように物事を捉えようとしてはじめて、多くの人の『幸せ』に役立つことができるのです。

多くの人の『幸せ』に貢献できれば必然的にあなたは『幸せ』です。

だから、勉強が必要なのです。




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